私もようやく2球真空管ラジオが出来上りました。
数十年ぶりに真空管ラジオを作れるとは、思っていませんでしたので感慨深いものがあります。
受信した感じですが、2〜3mの室内アンテナで感度は先日修理した0−V−2と同じか少し良いみたいです。
ただ音声増幅が1段のため音量は少なめです。
また音質についてはハム音は感じられず0−V−2よりすっきりした感じです。
このキットは当初チューニングしにくいと書かれていたのでバーニアダイヤルを付けスプレッドVCも付けましたがバーニアだけで楽に同調できました。
このバーニアは0−V−2に使われている物より減速比が大きいみたいです。
ただアルミシャーシが弱そうでしたので補強のため木片のサイドパネルをつけてみました。
今回、ラジオを製作して久々に物作りの楽しさを味わいました。
ラジオ工房掲示板より転載(2010年3月19日)
2010年3月20日
掲示板の書き込みから転載
昔、コンデンサーを作っていた時の事を思い出して書き込んでみました。 コンデンサーを作っていたといえば大袈裟なのですが昭和30年後半、私が小学生のとき母の内職で数種のコンデンサーを作っていました。 まずはっきり覚えているのは、セラコンで紙より薄いセラミック板に溶剤に入った銀塗料を塗る仕事です、 紙より薄いセラ板ですので風を入れられませんので締め切った部屋での作業は溶剤の臭いがたまりませんでした。 またセラ板には割り箸の先につけた円形のフェルトに銀を付けて塗りますが、 押しすぎるとセラ板が割れたり銀がはみ出したりして使い物になりませんでした。 また押しを弱くすると銀円が小さくなり静電容量が取れなくなり此れも使い物になりません。 ですから今考えますとセラコンの容量誤差が大きいのは、このためだと思いました。 それからフィルムコンも作っていたと思います。 これはリールにまかれた絶縁フィルムとアルミ箔を手動の巻き取り機でメーターを見ながら巻いていき、 決まったところまでメーターの針が振れたらカットして仕上げる作業で、 巻き取り圧が強かったりするとメーターが振り切ってショート状態を示し不良になってしまいました。 またポリバリも作っていました。 これは固定板と可動板の間に絶縁板を交互にピンセットで重ねていく作業で、 重ねていく枚数と種類を間違うと使い物にならない作業でした。 いずれの製品も仕上げは工場で行っていたようですが、日本の電子部品製造の発展にこの様な作業がありました。 この頃、私も面白半分に手伝っていましたが1個作っても何銭の時代で大変でした。 以上取り止めのない話でしたが、若い方にこんな時代もあったことを知ってほしかったです |
2010年3月24日:178 コンデンサーの話を追記。
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