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こんばんわ。2A7, 55,
2A6は東京電気マツダが国産化した1935年ころのカタログには全てヒータ電流は1.0Aとあります。先行して国産化した57,58は米国でも2.5V,1Aだったのですから,これを流用したのは十分考えられます。東京電気マツダの梅田徳太郎氏の記録には,55,
2A6は1.0A,2A7は2.5V,0.8Aと書かれています。戦時中1944年のマツダのマニュアルには2A7は0.8Aと変わっていますが,2A6は1Aのまま。戦後マツダの1951年のマニュアルも同じ。しかし,米国では2A6は0.8Aです。これら日本の球の規格は誤植と考えるのか,それとも当時はそうであったのかは良くわかりません。我が国では1940年頃からUZ-57,
UZ-58を改良して0.8AとしたUZ-57A, UZ-58Aを販売していますが,戦後UZ57A,
UZ58Aが廃止されて再びUZ-57,58が作られたときヒータが本当に1Aにもどったのか,それとも0.8Aなのかもわかりません。
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